第3章 娯楽を変えた50年代のモンスター

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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年)

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で、主人公マーティが1955年を訪れ、まだティーンである彼の母親の家庭の闖入者となってしまったとき、食卓を囲む家族が熱心に見入っていたものといえば、それは買ったばかりのテレビである。50年代は、テレビに対する需要が激しい勢いで伸びていった時代でもある。55年といえばおそらく、わが家もついにテレビを購入したという家庭が急増していた時期だろう。あの映画では、マーティが自分の家にはテレビが2台あるといったとき、彼の母親の家族たちはひどく驚いて、彼のことを相当な金持ちだと思い込んでいた。

 50年代には、第2章で書いたように、戦後の住宅政策によって郊外の一戸建てが実現可能な夢になった。郊外には都市にはない緑があり、バーベキューを楽しんだり、芝刈りを趣味とすることもできる。また、すぐに隣人と打ち解けあうことができる友好的な雰囲気もあるし、様々なグループ活動やパーティといった楽しみもある。そうした楽しみが人々を惹きつけたことは間違いないが、それでもテレビという新しいメディアの台頭がなかったら、これほどたくさんの人々が、都会の楽しみを離れて郊外に出ていったかどうかは疑わしいところである。

 バリッツの『The Good Life』によれば、戦後の1946年には、テレビを持っていたのはわずか8000軒にすぎない。それが数年後には500万軒に達し、1959年には4400万軒に達したという。それから、50年代のティーンエイジャーをターゲットにした一連の映画にスポットをあてたトマス・ドハティの『Teenagers & Teenpics / The Juvenilization of American Movies in the 1950s』によれば、1947年には、テレビのネットワークとその系列局の総収益は190万ドルだったが、10年後の1957年までには、9億4320万ドルに達している。また、1960年には、アメリカ人の家庭の10件に8件が少なくとも1台のテレビを持ち、毎日5時間以上テレビを見ていたという。

 このことは、郊外化が大きく進展した50年代に、アメリカ人の娯楽の内容が大きく変わったことを物語っている。それまでの映画やスポーツ観戦、あるいは、都会のレストランでの外食といった娯楽に変わって、テレビが娯楽の中心になったのだ。そして、この娯楽の変化は、様々なかたちでライフ・スタイル全体を変えていくことにもなる。

 第1章で紹介した『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』のオードリーの歌には、冷凍ディナーを食べながらテレビを見るというような一節が出てくるが、これはいわゆるTVディナーというものである。加熱するだけですぐに食べることができる冷凍のインスタント食品のことだが、テレビを見ながらでも簡単に作れるところからそんなふうに呼ばれるあたり、やはりテレビの時代を思わせる。映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で、ジョン・ルーリーがテレビを見ながらこれを食べていたのは記憶に新しいところだが、このTVディナーが初めて世に出たのは1954年のことである。

 
 


 テレビの出現によるライフ・スタイルの変化は、50年代のグラフ雑誌の商品の広告にもよくあらわれている。たとえば、「コリアーズ」誌の1953年10月号に載ったビールの広告はなかなか印象深い。そこには、郊外の生活を楽しむ若々しいカップルたちの姿が描かれている。彼らは庭にテレビを持ち出し、その前に小さなテーブルを置いてビールとホットドッグを並べ、パーティ気分でテレビの野球中継に熱中している。テーブルのわきの芝生のうえには、植木ばさみと庭いじりをするための手袋が置いてある。

 テレビは単なる娯楽にとどまらず、都市から独立した理想的な生活を送る人々にとって、“外の世界”とのパイプの役割を果たしているといってもよいだろう。第2章の冒頭で触れたような、50年代以前のテレビのない郊外と新しい郊外を比べた場合、都市から独立したといった感覚は、後者の方がいっそう希薄になっているはずだ。新しい郊外のなかで、人々は都市から失われた緑を楽しむ一方で、テクノロジーの進歩から生まれた新しいメディアを娯楽の中心にすえ、新しいライフ・スタイルを作り上げていったわけだ。

 こうしたライフ・スタイルの変化は、テレビの出てこない広告からも読みとることができる。50年11月号の「ライフ」誌に載っているシュリッツ・ビールの広告では、郊外の主婦が買物から戻って冷蔵庫を開けてみると、中身がみんな外に出されて、その代わりにシュリッツ・ビールが詰まっていたといった光景が描かれている。それは旦那様の仕業というわけだが、こうしたイメージなども、バーやダンスホールで飲むのではなく、家で飲むことが自然に強調されている。実際、統計的にこの時代には、外に飲みに出る人々が減り、酒を小売店で購入して家で飲む人々が急増したという。

 そして、こうしたテレビの文化的な意味を探るのにとても参考になるのが、テレビというメディアを様々な角度から分析した評論がまとめられた『Logic of Television』という研究書だ。なかでも、テレビと家族の関係を探るリン・スピーゲルの論文は、テレビの広告なども含めて50年代のテレビの意味が分析されていて、実に面白かった。

 この論文によれば、戦後という時代背景とテレビの登場のタイミングも無視することができない。というのも、戦争中に離れ離れになっていた家族にとって、ライフ・スタイルが大きく転換する場合には、精神的に彼らを結ぶものが潜在的に必要とされていたからだ。そこで単に娯楽というだけではなく、テレビは家族の絆の象徴ともなっていた。こうしたテレビの意味はまた、戦後の住宅の間取りとも結びついている。いわゆる“ファミリー・ルーム”である。このファミリー・ルームの出現は、家族の団結という理想を具体化したものだが、その中心に位置するのがテレビというわけだ。こうした背景から、当時のアメリカにおけるテレビの重要性は、番組の内容ではなく、テレビを見るという習慣にあったといった分析も発表されているという。

 そしてテレビの広告にも、テレビに対するそうした価値観が反映されている。つまり、住宅を作った業者が、広告を通して住宅そのものではなく幸福を売り物としたように、テレビの広告も、視聴者のグループがテレビを囲むように輪を作るといったイメージを強調することによって、テレビそのものではなく家族の絆や一体感を売り物にしたのだ。ちなみに、先ほど参考資料として取りあげた『Teenagers & Teenpics』には、テレビに見入る郊外居住者の姿をとらえた1955年の写真が掲載されているが、その写真のなかで人々がテレビの前で見事に輪を作り、視線がすべてテレビに集中している光景はひどく印象的だった。

 スピーゲルの論文ではさらに、ひとたび家族の絆の象徴という意味を与えられたテレビが、広告のなかで、家族を基調としたイメージを通してどのように変化していくのかが分析されていく。

 たとえば50年代のテレビの広告のなかに、父親と母親を、テレビの魅力によって“両親”の役割から切り離すことを暗示するものがある。1953年のセンチネルTVの広告では、夫婦がクリスマス・イヴに新品のテレビに見入る光景が描かれている。この広告に漂うのは、両親としての楽しみではなく、子育てから一時的に解放された夫婦がテレビを楽しんでいるという、ロマンティックな雰囲気だ。しかし、子供の存在が完全に除外されているわけではなく、テレビはあくまで家庭の輪郭を守っている。というのも、この広告には子供の姿も含まれているからだ。パジャマ姿でベッドから抜け出した子供が、両親のロマンティックな光景をドアの影から盗み見しているのだ。夫婦にとってちょっと後ろめたい密かな楽しみが強調されているというわけだ。

 テレビやテレビを中心としたライフ・スタイルと結びつく商品の広告は、突き詰めれば、家族をいかに郊外の家に釘づけにするかといったことを狙ってアイデアを絞っているのではないかと思う。このセンチネルTVの広告も、テレビがあればベシーシッターを呼んでどこかに外出しなくとも、十分に夫婦のロマンティックな時間が過ごせるといっているようなものだ。

 そしてテレビが家庭に普及するに従って、広告は今度は2台目を売り込むために、家庭における性的な役割を利用する。たとえば1955年のジェネラル・エレクトリック社のテレビの広告はその実例だ。この広告では、母親と娘がキッチンに置かれた2台目のポータブル・テレビで料理番組を見ながら料理をし、父親はファミリー・ルームでフットボールに見入っている。こうしてファミリー・ルームからキッチン、そして子供部屋にまでテレビが進出し、消費者の嗜好が多様化していくことになる。

 こうなると新しい郊外で家族を結びつける役割を果たしたはずのテレビは、一方では家族それぞれに性的、あるいは社会的な位置づけを暗黙のうちに行い、家族を結びつけるというよりは、家族をある決まったかたちに仕切る機能を果たすことになってくる。しかし、そこまで話を進める以前から、果たしてテレビが本当に郊外の家族を結びつけていたのかといえば、それはいささか疑わしい。

 第1章で紹介した『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』の歌の背景をなす映像では、ソファに座った両親が、彼らの前でカーペットにうつ伏せになってテレビに見入る子供たちの姿を幸福そうに眺める光景が描かれている。これもまた、テレビが家族を結びつけている光景ととれるが、別の見方もできる。要するに、両親には子供たちの後ろ姿は見えても、テレビに見入る表情や反応などはまったくわからないということだ。

 些細なことのように思われるかもしれないが、この光景が気になったのは、ウェス・クレイヴンの映画『デッドリー・フレンド』にまったく同じシチュエーションが出てくるからだ。ここでは具体的なストーリーについては省くが、その場面で主人公である子供たちは、母親に密かに睡眠薬を飲ませ、家を抜け出そうとしている。そこで、薬が効いてくるまでそうしたシチュエーションでテレビに見入ったふりをするのだが、母親に後ろめたそうな表情を読み取られないですむという意味で、子どもたちにとっては実に好都合なことになるのだ。

 テレビがこのように家族のあいだに距離を作るといったことについて、スピーゲルはニコラス・レイ監督の『理由なき反抗』を例にあげているのだが、この考察はなかなか興味深かった。

 スピーゲルが注目するのは、ジェームズ・ディーン扮する主人公ジムがあの有名な断崖での“死のレース”を終え、わが家へと戻ってきたところから始まる家族のやりとりである。この場面というのは、じっくり見るとテレビが奇妙な存在感を漂わせている。ジムはテレビの前で眠っている父親を見て、それからソファに横になる。カメラは、上下が逆さまになったジムの眼差しで、2階から降りてくる母親の姿をとらえる。彼女は、スイッチが入ったままで何も映っていないテレビの前を横切るようにジムの前にやってくる。ジムは立ち上がって、テレビを背にするように戸惑いをあらわにし、自分の犯した罪の告白を始める。そして最後に彼は、ふがいない父親と取っ組み合いを始める。混乱する部屋の雰囲気のなかで、何も映っていないテレビは彼らを冷たく見つめているようにもみえる。

 この場面でスピーゲルが関心を持つのは、ジムの告白とテレビの関係である。ジムにとって重要なことは、その事件に対して自分がどう対処すべきかということだが、彼が事件の話をしたとき、父親はテレビですでにその事件のことを知っている。つまり父親は、家族という枠組みのなかで息子からダイレクトにメッセージを受け取ることもできず、テレビが伝えたパブリックな出来事としてしか事件をとらえることができない。その事件が自分の息子にとって何を意味しているかということも考えることができないのだ。そうなると、つけっ放しになっているテレビのイメージは、父親を支配しているかのようであり、不気味なものに見えてくる。こうした郊外の生活とテレビとの関係については、もっと後の章で、スピルバーグの『ポルターガイスト』なども含め、何度となく取りあげることになる。

 この章は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とテレビのことから書き出したわけだが、最後にテレビについてあの映画をもう一度振り返ってみたい。主人公マーティが過去に向かう前に、気弱でうだつのあがらない彼の父親は、家のなかでずっとテレビにかじりついていた。それは、マーティが55年という時代に彼の母親の家庭で目撃するのと同じ光景ともいえる。ところがマーティが両親の運命を少し変えて現代に戻ってみると、父親はテレビにかじりついているのではなく、テニスから戻ってきたところである。この変貌には、テレビに支配された人々に対するささやかな皮肉が込められているように思える。


《参照/引用文献》
The Good Life : The Meaning of Success for the American Middle Class●
by Loren Baritz (Alfred A. Knopf, 1988)
Teenagers & Teenpics : The Juvenilization of American Movies in the 1950s●
by Thomas Doherty (Unwin Hyman, 1988)
Logic of Television : essays in cultural criticism edited●
by Patricia Mellencamp (Indiana University Press, 1990)

(upload:2002/02/17)
 
 
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