第12章 郊外の子供たちのモノローグ

反逆のパンク・ロック/Suburbia――-――――-――1984年/アメリカ/カラー/94分
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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年)
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 スピルバーグにウォーターズ、そしてフィクションのなかの存在ではあるが、『ブリット・パーク』のトニーや『贅沢な人びと』の語り手の少年など、時代が進むにしたがって、郊外で成長した子供たちの存在がだいぶ目立つようになってきた。この章では、郊外とかかわりのあるノンフィクションや郊外で成長したアーティストの告白などを軸にして、郊外の子供たちの内面や行動、体験、視点などを浮き彫りにしてみたいと思う。

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 郊外の子供たちをめぐってまず考えてみたいのは、50年代と60年代の関係である。50年代から現在に至る時代に流れのなかで、アメリカの郊外の世界、あるいはアメリカン・ファミリーの価値観が最も大きく揺らいだ時期といえば、それは60年代だ。「30歳以上の人間は信じるな」といった若者たちのスローガンが象徴するように、両親は疎ましい存在となり、郊外の子供たちは家を離れ、その多くがヒッピーへと変貌していった。第7章でとりあげた『Home Before Dark』のなかで、著者のスーザン・チーヴァーは、郊外化の50年代を「戦勝によって誕生し、60年代の激動によって破壊された時代」と表現していた。

 こうしてみると60年代は、50年代にかたちづくられた価値観とまっこうから対立するかのようにみえる。しかし、この50年代と60年代の関係を、50年代の価値観を背負った郊外の両親と60年代にヒッピーとなった郊外の子供たちの関係に限ってみた場合には、両者が対立し、断絶という表現が最もふさわしいと単純に言いきることはできない。

 ここではまず、郊外の子供たちの60年代体験にスポットをあて、郊外を出発点とした50年代と60年代の関係を再検証してみたいと思う。そこで参考になるのが、「ニューヨーク・タイムズ」の記者だったJ・アンソニー・ルーカスが68年に発表し、日本でも74年に翻訳が出ているノンフィクション『ぼくらを撃つな! かつて若かった父へ』である。

 この本では、60年代にヒッピーやラディカルといわれていた若者たちを取り巻く環境が浮き彫りにされ、さらに家庭をめぐる50年代と60年代の深い関係にも考察が加えられている。著者のルーカスは、ヒッピーやラディカルが漠然とした分析によってひとつの枠組みに押し込まれていることに疑問を感じ、そんな若者たちに直接インタビューし、特に両親と子供の関係、世代と次の世代との関係にポイントをしぼってこの本を書いた。ルーカスが選んだ若者たちは、コミュニストの息子、イッピーの始祖、公民権運動を推進した若者といったように、それぞれに時代を象徴するような若者たちだが、筆者がここで特に注目したいのは、ヒッピーの若者たちである。ルーカスはヒッピーの若者たちについては、“ヒッピーのほとんどは郊外に住む中産階級の子弟”というポイントから、子供たちに対する郊外のライフ・スタイルの影響へと話を進めていくのだ。

 また、ルーカスがこの本を書くことになったのは、ある事件がきっかけになっているのだが、その事件は、彼がヒッピーと郊外の関係に強い関心を持つきっかけにもなっているのである。それは、67年にふたりのヒッピーが、グリニッジ・ヴィレッジのとある地下室で殺害された事件だ。ルーカスが特に関心を持ったのは、被害者のひとり、リンダ・フィッツパトリックという娘だった。事件にショックを受けた彼女の両親がやっと「タイムズ」の記者に会う気になり、娘の生活について“ほんとうの話”をすることに同意し、ルーカスがインタビュアとなって彼らの話を聞いた。両親は彼に、娘はきわめて品行方正で、ヒッピーとかかわりになることはとても考えられないと語った。ところがその後、ルーカスがヴィレッジ周辺や娘の友人、知人を取材したところ、両親が実は娘の生活についてなにも知らないに等しいことがわかってきた。この娘の生活を克明に描いた「リンダ・フィッツパトリックのふたつの世界」は、ピュリッツァ賞を含めた多くの賞を受賞し、大きな反響を巻き起こした。

 こうしてルーカスは、時代の流れのなかに、簡単に世代の断絶という言葉では片づけることができない深いつながりがあることを感じ、まずリンダの人生をさらに深く掘り下げ、それからさらに、さきほどふれたような若者たちを選んで綿密な取材を進め、この本を書き上げたのだ。

 それでは、品行方正な郊外の子供にしてヒッピーでもあったリンダの人生を、かいつまんでたどってみることにしよう。裕福な家庭に生まれ育った彼女は、コネティカット州グリニッジとグリニッジ・ヴィレッジ、郊外の世界とヒッピーやドラッグの世界を往復し、18歳でこの世を去った。

 リンダの父親は、ニッカーボッカー・ミルズという香辛料会社を全国的な規模の企業に押し上げたセールス・マネージャーで、母親は、ジョン・フォードの『駅馬車』の撮影を手がけたハリウッドの有名なカメラマン、ロイ・ビンガーの娘パトリシア。ふたりは45年に結婚し、49年にリンダが誕生した。しかし、郊外の生活に退屈していたパトリシアは、刺激を求めてニューヨークに頻繁に出かけ、劇場やレストラン、ナイト・クラブに入り浸り、夫婦は52年に離婚する。父親は53年に、アン・ラッシュという女性と再婚。アンも再婚で、ルシンダという8歳の娘を連れていた。その翌年、夫妻とふたりの娘たちは、コネティカット州グリニッジのザキーアス・ミード・レーンに建つ宏壮な白い木造邸宅に移った。それは部屋数が15もある家で、父親はそこにさらにプールと石積みの暖炉をつけたした。



《データ》
『ぼくらを撃つな!かつて若かった父へ』●
J・アンソニー・ルーカス
鈴木主税訳(草思社、1974年)

”Grown-up Fast : A True Story of Teenage Life in Suburban America”●
by Betsy Israel(Poseidon Press, 1988)

―反逆のパンク・ロック―

◆スタッフ◆

監督/脚本
ペネロープ・スフィーリス
Penelope Spheeris
製作 ロジャー・コーマン/ バート・L・ドラギン
Roger Corman/ Bert L. Dragin
撮影 ティム・サーステッド
Tim Suhrstedt
編集 ロス・アルバート/ マイケル・オレクシンスキ
Ross Albert/ Michael Oleksinski

◆キャスト◆

ジャック
クリス・ペダースン
Chris Pedersen
エヴァン ビル・コイン
Bill Coyne
シェイラ ジェニファー・クレイ
Jennifer Clay
 
 

 
 
 
 
 


 リンダが実際にふたつの顔を持つようになるのは、メリーランド州グレンコーのオールドフィールズ校に入学してからのことだ。その学校については、この本のなかでこのように説明されている。

 一部で、オールドフィールズは“金持ちのバカ娘が行く”学校という評判がたっているほどである。ともあれ、グリニッジやコネティカットのその他の手入れの行きとどいた郊外住宅に住む家庭の子女の多くが、ここで学校教育を終えるのである。(中略)実際、一九六五年の秋、オールドフィールズに向かって出発するとき、リンダはアメリカの裕福な郊外住宅に住む他の多くの娘たちとまったく変わったところがないようだった。

 リンダの父親は、娘がオールドフィールズに入る3年前の62年には、グリニッジ・カントリー・クラブに近いところにある、自然石でつくられた30室もある邸宅を12万5000ドルで購入している。この邸宅は、枝を広げた樹木と4エーカーの緑したたる庭園に囲まれ、裏手には大きな長方形のプールがあった。こんなふうに贅沢な邸宅を求めて郊外の階段を上っていく家族の姿は、『贅沢な人びと』の世界を連想させる。そんな環境のなかでリンダは、家庭に戻ったときには品行方正な娘を演じ、親元をはなれたときには、時間をつくってはグリニッジ・ヴィレッジにくりだし、ドラッグに溺れる生活をしていた。

 ところでリンダの両親は、「家族はいつもいっしょに〜」という言葉を頻繁に使うという。実際リンダは、家に戻ったときには両親といつもいっしょに過ごし、休暇旅行などでもいつも行動をともにしていた。但し、このいっしょにという表現はくせものだ。戦後の50年代には家族について“togetherness”という言葉が称揚されたが、そんな家族の結束を象徴するものとは、たとえばテレビだった。いっしょにというのは、家族の内部から培われた絆を意味するのではなく、外部から作られた枠組みにうまくはまっていることを意味する。リンダは、郊外のライフ・スタイルに自分を合わせていただけかもしれないのだ。

 もちろん、継母という事情のために、彼女が家庭とのあいだに見えない壁をつくっていたという解釈をすることもできるわけだが、ルーカスがリンダに関心を持つのは、彼女がほとんど最期までふたつの世界を往復し、家庭が提供する慰安と利益を最期まで手放すことがなかったというところだ。彼がいわんとするのは、50年代と60年代がそれほどかけ離れたものではなく、郊外の世界とドラッグの世界も見方をかえれば、それほどかけ離れたものではないということだ。そうした見解を引きだすためにルーカスが参照しているのが、ハーヴァードの心理学教授エリック・エリクソンの考え方である。

いかなる場合でも、新しい世代にとっての価値というものは、はっきりしたかたちをとって、彼らの頭の中からいきなりとび出してくるものではありません。それは明確にかたちづくられてはいないにしても、すでに古い世代に内在しているのです。世代の断絶というのは、若い世代がそれ以前の世代にあって隠されていたものを顕在化させたということ、両親が抑えつけていたものを子供たちがはっきりと表現することを、別なかたちで言いかえたにすぎません。

 断絶という言葉は同じでも、その意味するところはなかなか興味深いのではないかと思う。ルーカスはこうした考え方を、彼が取材したヒッピーの若者たちと彼らの両親の関係に当てはめようと試みる。つまり大人たちは、表面的には以前と変わらないようにプロテスタントの倫理による伝統的な価値を称揚はしているものの、彼らを取り巻く現実は大きく変化しているということだ。そうした事実については第6章までに書いたとおりだが、ルーカスはそうした変化を、郊外の子供たちの60年代体験をとおして、ドラッグ・カルチャーへと結びつけていく。

アメリカの辺境の生活や工業化時代の初期にさえふさわしかった労働の習慣は、60年代のしゃれた郊外で営まれる生活の場では、もはやあまり意味を持たなくなった。そして、アメリカ人は、そのレトリックや自分たちに対して抱くイメージは別としても、その生活を変化した条件に適応させたのである。父親は、いぜんとして毎朝「働きに」行くかもしれないが、昨今の仕事たるや、実際に生産にたずさわるというよりは、書類を動かしたり、銀行の小切手を扱ったりという場合のほうが多い。そして、ますます「やる」ことが少なくなってゆくとこぼすかもしれないのである。より重要なのは、子供たちが、スーパーマーケットやショッピング・センターで、購入し、消費し、エンジョイするための商品に象徴される母親の世界におかれた家庭のなかで成長するということである。事実、アメリカ人は、急速に、仕事よりも遊びを、生産よりも消費を、生活を築くことよりもそこから何かを引き出すことを重視するようになってきている。
 ヒッピーのドラッグ・カルチュアは、そうした価値の転移の劇的なしるしであり、古い世代における潜在的なテーマが、若い世代において顕在化したことにほかならない。麻薬、少なくともマリファナと幻覚剤は、行動、生産、達成、仕事とは結びつかず、受動性、消費、内省、快楽主義と結びつく。それらは文字通り消費される。呑みこまれ、吸われ、嗅がれ、注入されるのである。さらにそれは、これを消費するものにその効果を及ぼす――開拓者が環境をつくり変えたのとは正反対である。

 それゆえにリンダは、対極の世界を往復していたのではなく、深い結びつきを持った世界を往復していたということになる。またルーカスは、郊外の生活が退屈であるために刺激を求めて頻繁にニューヨークに足を運び、ついには家に戻らなくなって離婚することになったリンダの母親の姿に、リンダの行動がすでに顕在化していたのではないかといった意見も提示している。

 この本の邦訳では残念ながら割愛されているが、ジムという若者の物語も、本書の冒頭で詳細に書いた戦後の郊外化の波に乗った家族のその後が綴られているかのようで、とても興味深い。ジムの父親は戦争から戻った若い帰還兵で、彼の一家が暮らすことになったカリフォルニアのサン・レアンドロは、まさにそうした人々のために戦後に全国に広がった典型的な郊外住宅だった。その中心には巨大なベイ・フェア・ショッピング・センターがあり、地元の商工会議所はそこを“買物をする人の楽園”と称していたという。ジムの父親はそのショッピング・センターで買物をし,支払が追いつかないこともしばしばだった。ジムの回想の言葉は、そんな消費にまみれた生活ぶりをリアルに伝えている。

物質主義、いろいろなもの――ステレオとか車とか家とか金なんか――ぼくはそんなものを欲しいとは思わなかった。ところが、それが、これまでずっと、ぼくののどに流しこまれてきたみたいなんだ。つまり、「そら、これを買いなさい、あれを買いなさい。これは欲しくないの? あれはどう? 欲しいものは何でも買えるのよ」というわけさ

 結局この家族がどうなったかというと、父親は消費の果てにアル中となり、両親は離婚する。そしてジムは麻薬に溺れていくことになる。ルーカスはこの親子の関係についても、すでにその地域社会に内在していたものが、郊外の子供をとおして顕在化したのかもしれないという可能性を示唆している。

 先ほど引用したルーカスの分析には、ドラッグのもたらす効果が「開拓者が環境をつくり変えたのと正反対である」という意見があった。コミュニティ精神によって異物を排除するしかない楽園という、出口のない郊外で育った子供たちにとって、ドラッグがもたらすものは、内的なフロンティアとしてのある種の出口だったというようにも考えられる。但し、50年代の郊外の世界が、ある種のフロンティアにして都市の問題やさまざまな脅威からの逃避の場であったのと同じように、郊外の子供たちにとって、この内的フロンティアは逃避的な側面もあわせ持っていたように思う。もちろんそれは、ドラッグ・カルチャー全般を指しているのではなく、あくまで郊外の子供たちにもたらされるドラッグの効果についての話ではあるが。

 これまでとりあげてきた小説には、『Revolutionary Road』を筆頭に、主人公が郊外の世界という罠にはめられて悲劇へと向かうといった視点を含む作品がすくなくなかったが、60年代のドラッグ・カルチャーのなかで悲劇の主人公となる郊外の子供たちもまた、郊外の世界から顕在化した罠にはまってしまったようにもみえてくる。但し、この『ぼくらを撃つな!』は68年に発表されたものだが、いまから振り返ると、顕在化という表現はあまりふさわしくないようにも思える。なぜなら顕在化というと、旧来の価値観が更新されたかのようだが、50年代の価値観は時代の流れのなかで風化することなく、根強く残ることになるからだ。前の章ではウォーターズの『クラックポット』から、マンソン・ファミリーの拠点だった牧場に住宅が建つかもしれないというエピソードを引用したが、あれはそのことを暗示している。

 そして、これからとりあげる画家エリック・フィッシュルの体験と模索は、ここまでの展開を念頭に置いて読むと、非常に興味深く思えることだろう。

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 エリック・フィッシュルは、ウォーターズやスピルバーグよりも2、3歳若いが、ほぼ同世代にあたる。アートの世界で80年代に入ってから注目を集め、“遅れてきたニュー・ペインター”とも呼ばれた画家だ。フィッシュルもまた郊外の子供であり、その体験は作品に影響を及ぼしているといわれるが、まずは彼の81年の出世作<Bad Boy>にふれておこう(フィッシュルの作品は、Eric Fischl website の他、文末の関連リンクにあげたサイトなどで見ることができる)。

 この絵に描かれているのは、ブラインドが下りた部屋のなかの光景である。部屋の奥にあるベッドのうえでは、成熟した全裸の女性が、悶えるように足を大きく広げて横たわっている。その手前には彼女を見守る少年が立っている。しかし少年の視線は必ずしも彼女に釘づけになっているわけではない。彼の両手は背中のほうに伸び、テーブルのうえに置かれたバッグの中身をまさぐっている。ブラインドから洩れる陽光は、女性の裸体と少年の肩に縞模様を描き、隠された世界をのぞき見るような雰囲気が漂っている。

 そんな光景に“Bad Boy”というタイトルがついているとなれば、誰もが想像力と好奇心を刺激され、それぞれにストーリーを思い描いてしまうことだろう。少年はバッグから財布か金を抜き取ろうとしているのか? 少年が他人の家に忍び込んだら、偶然にも全裸の女がベッドに横たわっていたのか? それともそこは少年の家で、女は彼の母親なのか? 女は少年の存在に気づいていないのか、それとも彼を挑発しているのか? もちろんこの絵にはそんな謎に対する明確な答などないが、われわれは、さまざまな想像をめぐらすうちに、身近で現実的でありながら、背徳的な夢でもあるようなその世界に引き込まれている。後の作品になるともっとはっきりしてくるが、フィッシュルの世界には、ブルーを基調とした独特のトーンのなかに、裸体がもたらすような親密さと危険な行動や凶暴性がもたらす緊張が共存している。その親密さと緊張のバランスがわれわれの想像力を刺激し、明確な答など見出せなくとも、そこに奇妙なリアリティを感じるようになるのだ。   ==> 2ページへ続く

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