第14章 保守化するアメリカから浮かびあがる家族の肖像 「普通の人々」、ブラット・パック、ジョン・ヒューズ

普通の人々/Ordinary People―――――――――――1980年/アメリカ/カラー/124分
アウトサイダー/The Outsiders――――――――――――1983年/アメリカ/カラー/92分
ランブルフィッシュ/Rumble Fish――――――1983年/アメリカ/モノクロ=パートカラー/96分
すてきな片想い/Sixteen Candles――――――――――1984年/アメリカ/カラー/93分
ブレックファスト・クラブ/The Breakfast Club―――――――1985年/アメリカ/カラー/97分
ときめきサイエンス/Weird Science――――――――――1985年/アメリカ/カラー/94分
フェリスはある朝突然に/Ferris Bueller's Day Off―――――1986年/アメリカ/カラー/103分
ウィズダム〜夢のかけら/Wisdom――――――――――――1986年/アメリカ/カラー/109分
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(初出:初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年、若干の加筆)
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■■80年代の始まりを象徴する映画『普通の人々』■■

 この章では、現在からそれほど遠くない80年代という時代を掘り下げてみたいと思う。ロバート・レッドフォードの初監督作品『普通の人々』については、第11章で少しだけ触れたが、ここではまず、この映画のことから話を進めていくことにする。『普通の人々』がアメリカで公開されたのは、1980年のことである。この映画は、郊外に暮らす中流家庭を描いた地味な内容の作品だったが、大きな話題を集め、80年度のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演男優賞、脚色賞を受賞している。

 この映画からは、郊外の生活と時代の流れをめぐって、様々な意味を読み取ることができるが、映画の内容に話を進める前に、まず映画の原作に触れておくべきだろう。原作は、1976年にアメリカで出版され、ベストセラーとなったジュディス・ゲストの"Ordinary People"。日本では、『アメリカのありふれた朝』の邦題で翻訳が出ている。この小説は、40歳の平凡な中流階級の主婦が、初めて書いた長編小説だった。

 小説が出版に至る経緯については、『アメリカのありふれた朝』のあとがきに詳しいが、そこには、"普通の人々"というタイトルと執筆の動機について、著者ゲストの次のようなコメントが引用されている。

「ここに登場する人々についてわたしが語りたいと思っていることを的確に表わしている題名だと思います。もちろんアイロニカルな意味で、ではありません。登場人物たちはごく平凡な普通の人々であり、ただその身辺に異常な出来事が起こる――それも毎日どこかの誰かに起こりうるようなことが起こる、ということなのです。今日では、平凡で普通の人々をよしと評価する傾向が強まってきていると思います。「普通の」とは、人並みで、正常で、調和のとれたという意味です。……読者として、わたしはここ何年も、異常であること、異常な人々をもてはやすような傾向の本が氾濫していることにすくなからず腹立たしい思いを味わってきました。……この作品を書くことに目的があったとすれば、(物語を語るというそれだけのこと以外に)それは、自分が同一視できる人物をみいだすことであり、解決すべき問題を彼らに与えて、その問題に彼らがどう対処し、また処理していくかをみることであったと思います」

 「異常であること、異常な人々をもてはやすような傾向の本」というのは、カウンター・カルチャーやドラッグ・カルチャーの産物を指しているようだが、このコメントからは、激動の時代のなかで置き忘れられた家庭を見直そうとする時代の流れを読み取ることができる。

 もちろん、これまで書いてきたように、60年代から70年代にかけての時代に、郊外の家庭に目を向ける動きがなかったわけではない。しかし、一般の関心は、どちらかといえば、アメリカを揺るがすような社会問題の方に向いていたというべきだろう。あるいは、そうした社会問題に関心が向いているうちに、郊外のライフスタイルは、抽象的な幸福の実態が明らかにならないままに、確実に根を下ろし、激動の時代が過ぎ去って、人々が足元に目をやると、そこに問題を見出したり、身動きがとれなくなっていたということになるのかもしれない。それは、80年代を掘り下げていくことで明らかになることと思う。


《書籍のデータ》

●『アメリカのありふれた朝』
ジュディス・ゲスト
大沢薫訳/集英社文庫/1981年)



―普通の人々―


◆スタッフ◆

監督   ロバート・レッドフォード
Robert Redford
脚色

アルヴィン・サージェント
Alvin Sargent

原作 ジュディス・ゲスト
Judith Guest
撮影 ジョン・ベイリー
John Bailey
編集 ジェフ・カニュー
Jeff Kanew
音楽 マーヴィン・ハムリッシュ
Marvin Hamlisch

◆キャスト◆

カルヴィン   ドナルド・サザーランド
Donald Sutherland
コンラッド ティモシー・ハットン
Timothy Hutton
ベス メアリー・タイラー・ムーア
Mary Tyler Moore
バーガー ジャド・ハーシュ
Judd Hirsch
ジーニン エリザベス・マクガヴァン
Elizabeth McGovern

(配給:パラマウト=CIC)
 


 それでは、映画『普通の人々』へと話を進めることにしよう。この映画の舞台になるのは、緑豊かな自然に囲まれたシカゴ郊外の住宅地である。主人公になるのは、この閑静な住宅地にある白い二階建ての素晴らしい邸宅に暮らす一家だ。父親のカルヴィン・ジャレットは、シカゴに事務所を持つ弁護士で、妻のベスとは結婚して21年になる。彼らには、ハイスクールに通う17歳の息子コンラッドがいる。そして、一見平穏な暮らしを送るかに見える家族だが、実は彼らは、それぞれに心のなかに空白を抱え、お互いを暗黙のうちに牽制するようにして、何とか家族というかたちを保っている。

 というのも、彼らは、ヨットの事故で長男を失い、一緒に乗っていながら自分だけが助かった弟のコンラッドは、自分を責め苛み、自殺をはかり、精神病院に入院にていたからだ。コンラッドは、いまでも悪夢にうなされ、自分の感情というものを見失い、固く心を閉ざしてしまう。この映画は、ゲストの言葉にもあるように、「解決すべき問題を彼らに与えて、その問題に彼らがどう対処」していくのかを描いているわけだ。

 この家族は、長男の事故死という悲劇が起こるまで、郊外の世界のなかで平穏に暮らしてきた。しかし、その悲劇がきっかけとなって、それぞれに家族の意味を問い直さざるをえない立場に追い込まれる。そこで、それぞれに解答を見出したり、見出そうと苦悩する三人のコントラストは、とても印象的である。

 まず、母親は、決して家族の意味を問い直そうとはしない。内側には空白を抱えているものの、何事もなかったかのように、これまでの生活を続けていこうとする。まるでこの豊かな郊外の生活習慣にさえ従っていれば、最初はぎすぎすしようとも、いつかは昔どおりの家族に同化してしまえると確信しているかのようだ。彼女は、以前と何も変わらないかのように、隣人たちとの社交生活を続ける。週末には、友人夫妻と街に出て、芝居やゴルフを楽しむ。隣人宅のパーティでは、絶好の機会とばかりに、何事もなく元気な自分の姿を人々に印象づけようとする。また、毎年クリスマスにはどこかに旅行していたからという理由で、そんな状況でもクリスマスに旅行しようと考える。彼女は、これまで書いてきたような、郊外のライフスタイルが外から作り上げる家族の枠組み、そのイメージにすがりつくことによって、問題を回避しようとするのだ。

 
 

 一方、そんな母親と対照的なのが、息子のコンラッドだ。彼のなかでは、母親がすがろうとするような家族の枠組みは、完全に崩壊してしまっている。家族の生活がたくさんの選択のうえに成り立っているとするなら、彼には、そのひとつひとつの選択の根拠を見出すことができないのだ。もちろん、この家庭が、作られた枠組みに完全に依存しているとするならば、そこに根拠といったものを見出すのは困難だろう。

 それでは父親はというと、彼は、何とか息子を立ち直らせたいという気持ちに駆られているにもかかわらず、その糸口が見出せず、息子に対して神経ばかりを使って、こわばってしまう。彼の姿は、第五章で触れたような、家庭的ではあるが、成長する子供が抱える問題に対処するすべを知らない50年代のあの新しい父親像を思い起こさせる。

 時代の流れのなかで、ごくごく普通の家族が見直されるようになったとき、50年代がはらんでいた問題も前面に出てきたというわけだ。この映画の物語は、父親がそうした問題にどう対処するかが、鍵を握っているともいえる。

 映画では、郊外の表面的な幸福と現実をめぐって、家族の亀裂が深まっていく。母親は、パーティの席で、息子が精神科医に通うようになったことを友人に打ち明ける父親を、プライバシーの侵害だとして厳しくたしなめる。あるいは、周囲の人間から、息子がひそかに水泳部を辞めていたことを知らされ、恥ずかしさのあまり息子に辛くあたる。母親にとっては、郊外の世界に違和感なく溶け込んでいることが、家族にとって最も重要になってしまっているのだ。

 そこで、父親は、何とかして彼女を現実に向かわせようとするが、すべては徒労に終わってしまう。そして最後に、妻に向かって、「きみを愛しているかどうかわからなくなってしまった。今までどおりには暮らせない……」と告白する。彼女はだまって荷物をまとめ、家を後にする。母親が去った家の寒々とした庭で、父親は息子をしっかりと抱きしめて映画は終わる。

 母親に対する父親の最後の告白には、「きみの正体がわからなくなった」という台詞も含まれているが、この父親の言葉は実に印象的だった。ひたすら郊外の平穏な日常に同化しようとする彼女の存在は、父親には、対話が可能な生身の人間ではなく、実体のないかたちだけの妻、母親に見えたに違いない。

 原作者のゲストは、先ほどの引用のなかで、"普通の人々"にアイロニカルな意味はないと語っていたが、少なくともこの映画のタイトルには、アイロニーが込められていると思う。つまり、いくら郊外で平穏に暮らしているからといって、それだけで普通を保証してくれるものは何もない。どんなに普通に見える家にも、異常な要素が含まれていたり、信じられないことが起こりうる。それを現実として受け入れていくことができなければ、普通の人々にすらなれないということである。

 第11章では、そうした意味も込められた『普通の人々』に少しだけ触れてから、ウォーターズの『ポリエステル』を取り上げたわけだが、ここであの映画を振り返ってみると、ディヴァイン扮する満身創痍といった感じの主婦が口にする「普通って難しいことじゃないのね」という台詞が、悪意を剥き出しにして甦ってくるようである。

 ちなみに、レッドフォードは、なぜこの小説を最初の監督作品に選んだのかということについて、こんなふうに語っている。

「アメリカ、失われた社会、様々な変化。変化の必要性。社会構造上、堅固な部分と、家族の絆のように永続性があると思われているものがいかに変化を余儀なくされているか。見せかけと現実の問題に興味を引かれた。人の目に映る自分自身の姿と、自身の現実とにはかなり差があると思う。これがひとつの理由だ。自分が大人になり旅を多くするにつれ、人々が、自分が本当は何者なのかということより、見せかけの方をもっと気にしていることに気づいた。自分の感情に正直であろうとすれば、人生を随分無駄に過ごしてきたという事実に直面せざるをえないのではないか。その時点で生き方を変えてみようとせずに、そのまま落ち着いてしまう人が多い。結婚のことでも仕事のことでも」(『普通の人々』の劇場用パンフレットより引用)

 これは様々な解釈が可能な発言だが、郊外の中流が直面する問題が含まれていることは間違いない。そして、80年代以前の家庭というものを振り返ってみると、人々が、見せかけのものにとらわれて、身動きがとれなくなりつつあるということが暗示されている。

 このことはそのまま、前の章で書いたミニマリズムの世界に通じている。ミニマリズムについては、カーヴァーやビーティのように80年代以前から作品を発表している作家たちがいるので、この章より前に置いたが、ミニマリズムの作家が急増し、広く市民権を得るようになるのは、80年代に入ってからのことである。そういう意味では、80年に公開された『普通の人々』は、時代の流れを象徴する作品なのである。

 また、これは先ほど『普通の人々』の父親像に関する部分で触れたことだが、家庭をめぐる80年代と50年代の深い結びつきも、見逃すことができない。そのことについては、これに続く章で、スティーヴン・キングやデイヴィッド・リンチを取り上げて掘り下げることになるが、それ以外にも、このふたつの時代の結びつきは随所に見られる。

 たとえば、この本の第1章では、50年代の世界を身近なものにするために、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を取り上げたが、これらはいずれも80年代半ばの作品である。また政治に方に目をやると、50年代はアメリカの戦勝によって誕生した世界だったが、80年代は、ロナルド・レーガンが大統領となり、"強いアメリカ"を目指し、保守的な政策を進めていくことになるのである。

■■80年代と50年代を繋ぐコッポラの2作品■■

 そして、そんな80年代のアメリカ映画で注目しておきたい動きが、YA(ヤング・アダルト)スターとかブラット・パックと呼ばれた一群の若手俳優たちの台頭である。

 彼らは81年の『タップス』、そして83年の『アウトサイダー』、『ランブルフィッシュ』を出発点に、青春映画のブームを作り上げた。具体的な俳優でいえば、マット・ディロン、ティモシー・ハットン、ショーン・ペン、C・トーマス・ハウエル、トム・クルーズ、ロブ・ロウ、ラルフ・マッチオ、エミリオ・エステベス、ジャド・ネルソンといった面々である。彼らが共演、あるいは、発展解消というかたちで主役を務めた映画を上げていたらきりがないので、ここではとりあえず、ブラット・パックの代表作である『ブレックファスト・クラブ』と『セント・エルモス・ファイアー』を上げておくことにする。

 彼らがどうしてそれほどうけたのか、何がそれほど新鮮だったのかといえば、彼らがありふれたティーンエイジャーをありのままに体現していたからである。それがどうして新鮮なのかといえば、先ほどのジュディス・ゲストのコメントを映画に置き換えてみれば一目瞭然である。つまり、カウンター・カルチャーを生きる若者や、アメリカの現実を一身に背負ってしまったような屈折と狂気のアンチ・ヒーローは、"異常な人々"であり、YAスターやブラット・パックは、80年代のティーンが自分を"同一視できる人物"だったわけだ。それ以前にも、一見すると普通のティーンエイジャーを描いているようにみえる青春映画がなかったわけではないが、そこにはセックスのことしか頭にないようなティーンエイジャーしか登場しなかった。もちろん、普通のティーンエイジャーが皆無ということではないが、これほどそうしたキャラクターが注目されたことはなかった。

 普通のティーンエイジャーは、当然のことながらありふれた世界を生きている。彼らの人生、世界は、家族、友人、恋人を結ぶ境界からほとんど出ることがない。彼らは、そんなミニマルな世界のなかで、ささやかな不協和音に敏感に反応し、悩み、時として泣き出すことすらある。

 そんな彼らの姿は、屈折と狂気、カウンター・カルチャーを飛び越して、50年代のジェームズ・ディーンを連想させるが、それは、彼らの出発点となったフランシス・フォード・コッポラ監督の二作品『アウトサイダー』と『ランブルフッシュ』を振り返ってみれば頷けることだ。この二作品に漂う地方都市のある種の閉鎖性、わけもなく敵対する若者グループ、あるいは、死に急ぐ若者、家族の不和、不在の母親をめぐる兄弟の相克などが、映画史の時間を遡り、『理由なき反抗』と『エデンの東』に重なっていくからである。

 『アウトサイダー』と『ランブルフィッシュ』は、80年代の『理由なき反抗』と『エデンの東』であり、コッポラは、家庭、兄弟、仲間たちのミニマルな世界を生きるティーンエイジャーの姿を通して、80年代と50年代を結びつけるのだ。この二作品は、町を離れていく列車や川に沿って海に向かうイメージが重い意味を持つように、コッポラは、時代の閉塞的な空気を嗅ぎとっている。====>2ページへ続く


 

―アウトサイダー―


◆スタッフ◆

監督/製作   フランシス・フォード・コッポラ
Francis Ford Coppola
脚色

キャスリーン・クヌートセン・ローウェル
Kathleen Knutsen Rowell

原作 S・E・ヒントン
S. E. Hinton
撮影 スティーヴン・H・ブラム
Stephen H. Burum
編集 アン・ゴールソウ
Anne Goursaud
音楽 カーマイン・コッポラ
Carmine Coppola

◆キャスト◆

ポニーボーイ   C・トーマス・ハウエル
C. Thomas Howell
ジョニー ラルフ・マッチオ
Ralph Macchio
ダラス マット・ディロン
Matt Dillon
チェリー ダイアン・レイン
Diane Lane
ボブ レイフ・ギャレット
Leif Garrett
ソーダポップ ロブ・ロウ
Rob Lowe
ツー・ビット エミリオ・エステベス
Emilio Estevez
ダレル パトリック・スウェイジ
Patrick Swayze
スティーヴ トム・クルーズ
Tom Cruise

(配給:東宝東和)


―ランブルフィッシュ―


◆スタッフ◆

監督/脚色/製作総指揮   フランシス・フォード・コッポラ
Francis Ford Coppola
原作/脚色

S・E・ヒントン
S. E. Hinton

撮影 スティーヴン・H・ブラム
Stephen H. Burum
編集 バリー・マルキン
Barry Malkin
音楽 スチュワート・コープランド
Stewart Copeland

◆キャスト◆

ラスティ・ジェイムズ   マット・ディロン
Matt Dillon
バイクボーイ ミッキー・ローク
Mickey Rourke
パティ ダイアン・レイン
Diane Lane
父親 デニス・ホッパー
Dennis Hopper
カサンドラ ダイアナ・スカーウィッド
Diana Scarwid
スティーヴ ヴィンセント・スパノ
Vincent Spano
スモーキー ニコラス・ケイジ
Nicolas Cage

(配給:ユニバーサル=CIC)


―すてきな片想い―


◆スタッフ◆

監督/脚本   ジョン・ヒューズ
John Hughes
撮影 ボビー・バーン
Bobby Byrne
編集 エドワード・A・ワーシルカJr.
Edward A. Warschilka Jr.
音楽 アイラ・ニューボーン
Ira Newborn

◆キャスト◆

サマンサ   モリー・リングウォルド
Molly Ringwald
ジーク アンソニー・マイケル・ホール
Anthony Michael Hall
ジェイク マイケル・ショーフリング
Michael Schoeffling
ジム ジャスティン・ヘンリー
Justin Henry

(配給:UIP)


―ブレックファスト・クラブ―


◆スタッフ◆

監督/脚本/製作   ジョン・ヒューズ
John Hughes
撮影 トーマス・デル・ルース
Thomas Del Ruth
編集 デデ・アレン
Dede Allen
音楽 キース・フォーシー
Keith Forsey

◆キャスト◆

アンドリュー   エミリオ・エステベス
Emilio Estevez
クレア モリー・リングウォルド
Molly Ringwald
アリソン アリー・シーティ
Ally Sheedye
ジョン ジャド・ネルソン
Judd Nelson
ブライアン アンソニー・マイケル・ホール
Anthony Michael Hall
ヴァーノン先生 ポール・グリーソン
Paul Gleason

(配給:UIP)
 



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