|
■■チーヴァー・カントリーで自己と現実に目覚めていく男――『痩せゆく男』■■
ある出来事がきっかけとなって、コミュニティに埋没している自分に気づくという展開は、チーヴァーやカーヴァーの短編を思い出させるが、『痩せゆく男』もまた、そんな展開が物語のポイントになっている。
この小説の主人公ハリックは、妻と14歳の娘とコネティカット州にある郊外の町フェアヴューに暮らし、ニューヨーク市内に通勤する弁護士である。彼は、肥満という悩みを除けば満ち足りた生活を送っていた。ところがある日、ちょっとした不注意から、町を訪れたジプシーの一団のなかにいた老婆をクルマで轢き殺してしまう。
彼は、このコミュニティの人種差別的な感情を代表するような警察署長や判事の力添えで、まったく責任を問われることなく無罪となる。しかし、ひとりのジプシーの老人が、彼に向かって「痩せていく」という言葉を残して町を去る。その後、この主人公は着実に痩せていくことになるのだ。
この主人公が暮らすフェアヴューが、かなり裕福な家族が暮らす町であることは、彼の友人である医師にまつわるこんな描写から垣間見ることができる。
マイケル・ヒューストンはフェアヴュー人種の見本のようなものだった。マリブ・ビーチで日焼けした白髪のハンサムな医者。(中略)ヒューストン夫妻は、薄気味悪いほど器量のいいふたりの子供がいて、ランターン・ドライヴでも比較的大きいほうの家に住んでいる――カントリー・クラブまで歩いていける距離にあり、ジェニィ・ヒューストンは酔うとそのことを自慢する。それはかれらの家が十五万ドルをゆうに越える額の金がかかっていることを意味していた。ヒューストンはフォー・ドアの茶色のベンツを乗りまわしている。ジェニィは痔を患っているロールス・ロイスといった格好のキャデラック・シマロンに乗っている。子供たちはウェストポートの私立の学校へいっている。フェアヴューの噂は――これが往々にして当たっているのだが――ヒューストン夫妻は暫定協定を結んでいるとほのめかしていた。マイケルはきわめつけの女たらしだし、ジェニィのほうは午後の三時頃にはもうウィスキー・サワーを飲みはじめる始末だった。まさに典型的なフェアヴューの家庭だ、とハリックは思い、そして不意に疲れ、おびえた気分になった。
なぜ彼がおびえた気分になるのかといえば、ひとつには、このコミュニティの排他的な特権を行使することによって責任を逃れた後ろめたさのために、自分を含むフェアヴュー人種というものに嫌悪感を抱くからだ。そして、もうひとつには、痩せていくことに関して、癌のような重い病気なのではないかという内なる不安と、ジプシーの呪いという恐怖が共鳴し、自分の周囲の現実が失われていくからでもある。
ただし、このふたつの事柄は、郊外の生活をめぐって深く結びついてもいる。人々は、安全や安定を求めて郊外の町での暮らしを選ぶ。そして実際、この物語のように、外面的な問題は、コミュニティの政治力を行使することによって解消され、主人公の安定した生活は守られることになる。しかし、矛先が健康の問題に向けられるとなると、郊外の生活は何の保障にもならない。それどころか、なまじ外面的な安定が保障されているだけに、内なる不安がひとたび頭をもたげると、それはとめどなく膨らんでいくことになるのである。
そんな不安から彼は恐ろしい夢を見ることになるのだが、その夢の描写はなかなか興味深い。
痩せていく、ただその一言だが、十分に呪いの言葉になっているとハリックにはわかった、というのもニューヨーク市内に通勤して帰りには社交車両で一杯という裕福な上流階級が住むこの郊外で、ジョン・チーヴァーの生国のド真ん中に位置するこの小ぎれいなニュー・イングランドの町フェアヴューで、誰もが餓死しかけていたからだ。(中略)フェアヴューはナチの強制収容所の生き残りたちであふれた町になっていた。
すでに第7章をお読みの読者には、"ジョン・チーヴァー"という人名や"生国のド真ん中に"といったキングらしい話術がもたらす効果について、あらためて説明する必要もないだろう。
この文章で印象的なのは、フェアヴューの世界から"ナチの強制収容所"といった過去の出来事が浮かび上がってくることだ。第7章で取り上げたチーヴァーの短編「THE
COUNTRY HUSBAND」には、郊外のパーティに出席した主人公が、ここには過去も戦争もなかったという暗黙の了解で人々が結束しているような印象を受ける場面があったが、この夢の描写には、あの場面に通じるものがある。キングはもしかしたら、チーヴァーに影響されるところもあったのかもしれない。====>2ページへ続く
|