第17章 戦争が終わり、世界の終わりが始まった

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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年、若干の加筆)

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■■SFに取り込まれた50年代のライフスタイル■■

 50年代との深い関わりをめぐって、キング、リンチに続いて、この章では、フィリップ・K・ディックを取り上げたいと思う。

 ディックは、映画『ブレードランナー』の原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の他、『火星のタイム・スリップ』、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、『高い城の男』といったSF小説でカルト的な人気を誇る作家である。

 この本の流れからすると、火星が舞台になったり、アンドロイドが登場するSF小説の作家を取り上げるというのは唐突な印象を与えることだろう。しかし、この本の前半で50年代を振り返り、さらに50年代を鋭いセンスでとらえる作品や作家のコメントを取り上げていくうちに、いろいろな意味でディックとの接点が広がってきたので、少し違う視点から見るのも面白いと思い、ここでディックを取り上げることにした。

 ディックのユニークな世界を短い言葉にまとめるなら、揺るぎないものに見えた現実が、目の前で次第に希薄なものとなり、がらがらと崩れ去っていくということになる。前の章で、デイヴィッド・リンチは、"世界はこうあるべきだ、そうでなくてはならないといいたげな笑顔"から悪夢へと引き込まれていったわけだが、ディックの場合もまた、まったく異なる感性から生み出される悪夢によって、現実が浸食されていくのである。

 しかも、ディックの作品には、SF的な設定であるとはいえ、登場人物たちのライフスタイルや社会の状況に、50年代を出発点とするようなアイデアや価値観が盛り込まれていたり、投影されていたりする。

 たとえば、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』は、「パーキー・パットの日」という短編がもとになっているが、この短編のアイデアは、異常な人気を集めていたバービー人形からきている。ビル・オウエンズの写真集『SUBURBIA』には、ヴァレリーという少女が、居間のカーペットの上にバービーとケンの人形たちとキャンピング・カーやクロゼットのミニチュアを広げている写真が収められていたが、ディックは、その少女と大人たちを入れ替え、SF的なアイデアにしているといえる。『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』の時代は21世紀、地球から太陽系の各地に移住した人々は、植民地のあまりにも苛酷な環境を一時でも忘れるために、キャンDというドラッグを使って、パーキー・パット人形というミニチュア・セットの世界にトリップすることに熱中しているのだ。


《書籍のデータ》

●THE THREE STIGMATA OF PALMER ELDRITCH
by Philip K. Dick (1965)
●UBIK
Philip K. Dick (1969)
●CONFESSIONS OF A CRAP ARTIST
by Philip K. Dick (1975)
●PUTTERING ABOUT IN A SMALL LAND
by Philip K. Dick (1985)
●MARY AND THE GIANT
by Philip K. Dick (1987)
●TIME OUT OF JOINT
by Philip K. Dick (1959)

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●『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』
フィリップ・K・ディック

浅倉久志訳(早川書房、1978年)
●『ユービック』
フィリップ・K・ディック

浅倉久志訳(早川文庫、1978年)
●『戦争が終り、世界の終りが始まった』
フィリップ・K・ディック

飯田隆昭訳(晶文社、1985年)
●『小さな場所で大騒ぎ』
フィリップ・K・ディック

飯田隆昭訳(晶文社、1986年)
●『メアリと巨人』
フィリップ・K・ディック

菊池誠、細美遥子共訳(筑摩書房、1992年)
●『時は乱れて』
フィリップ・K・ディック

山田和子訳(サンリオSF文庫、1978年)
 
 


 こんなふうにアイデアだけを書き出してみると、実際に作品を読んだことのない人には、ひどく陳腐な物語のように感じられるだろうが、筆者は、奇妙というよりも不気味なほどのリアリティを感じる。たとえばここで、郊外住宅地を不毛な世界と仮定してみよう。その不毛な郊外に続々と流出していった人々は、バービー人形のミニチュアの空間を等身大に戻したような世界とライフスタイルにすがりつき、広告から浮かびあがる、世界はこうあるべきだといいたげな笑顔に支配されていたとはいえないだろうか。

 また、『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』の物語が、キャンDの供給を一手に引き受ける会社の社長、チューZという新しいドラッグを売り出そうとする実業家、流行予測コンサルタントたちを中心に展開するというように、ディックの世界の現実が、常に消費にまみれたものであることも無視するわけにはいかない。

 ディックの代表作のひとつ『ユービック』でも、そんな消費にまみれた現実が浮き彫りになっているが、ディックは、そんな世界を描くにあたって、50年代の消費生活の空気を取り込んでもいる。

 物語の時代設定は1992年。細かいストーリーの説明ははぶくが、“ユービック”とは、謎の時間退行現象のなかに投げ出されてしまった登場人物たちが、衰退していく現実を補強するものとして、それを手に入れる必要に迫られるスプレー缶である。この物語は、揺らぐ現実をめぐって悪夢の迷宮へと入り込んでいくのだが、ディックは、その各章の冒頭に、様々なユービックの広告のコピーを盛り込んでいる。そのいくつかを実際に引用すると、こんな具合になる。

みなさん、一掃セールの時期となりました。当社では、無音、電動のユービック全車を、こんなに大幅に値引きです。そうです、定価表はこの際うっちゃることにしました。そして――忘れないでください。当展示場にあるユービックはすべて、取扱い上の注意を守って使用された車ばかりです。

一番いいビールの注文のしかたは、ユービックとさけぶことです。よりぬきのホップと吟味された水を原料に、完全な風味をつけるためにゆっくりと熟成されたユービックは、わが国最高の特選ビールです。クリーブランドでしか作られていません。

インスタント・ユービックは、いれたてのドリップ・コーヒーそのままの新鮮な風味です。あなたのご主人はこうおっしゃるでしょう。驚いたな、サリー、ぼくはいままできみの作るコーヒーを、まあまあだと思っていた。だが、こいつはいける! 使用上の注意を守ってお飲みになれば、安全です。

家具や調理器具の汚れは、新しい奇跡のユービックでさっとひと拭き、たちまちピカピカ。扱いやすく、べとつかない、プラスティック皮膜の艶出し剤です。説明書をよく読んで使えば安全無害。もうゴシゴシ磨く時代は去りました。キッチンから飛び出しましょう!

 

 小説のなかで、ユービック・スプレーの存在は、登場人物たちにとって死活問題となるものだが、クルマや家庭生活をめぐって、夫婦のやりとりまで盛り込まれたこの広告のコピーを見ていると、ユービックが、中流家庭の生活を支える様々な商品=現実を補強するもののように思えてくるはずだ。こうしたポップなアイデアから現実を突き抜け、哲学的、宗教的な深みへと入り込んでいくところがディックのユニークなところだが、こうした発想は、おそらくディック自身の50年代の模索と無縁ではないだろう。

■■主流小説から浮かびあがる50年代■■

 ディックは50年代に、SFと並行して、SFではない主流小説も書き、主流小説だけに専念している時期もあったほど力を入れていた。ところが、そうした主流小説は、出版社に受け入れられることがなく、ディックの生前に発表されたのは、『戦争が終り、世界の終りが始まった』だけだった。そして、ディックの死後に、主流小説にも光があてられ、日本でも『小さな場所で大騒ぎ』『メアリと巨人』などが翻訳出版されている。

 これらの主流小説は、50年代に執筆されたこともあって、戦後から50年代の風俗や時代の空気といったものが、ディック特有のタッチで描き出され、興味深く読むことができる。

 たとえば、各作品の登場人物たちの職業をみただけでも、時代が感じられる。『小さな場所で大騒ぎ』の主人公ロジャー・リンダールは、テレビの販売店のオーナーである。彼は、戦時中に、「第二次大戦後テレビは巨大産業になるだろう」と考えていた。小説のなかには、回想のかたちで、考えが古い電気屋のオーナーとテレビを勧めるロジャーのこんな会話が盛り込まれている。

「十年間はテレビはできっこないよ」
「そんなことはありません。見込み違いもいいとこです。テレビは一年以内に出回ります。経済雑誌をぜんぶ読んで知っているんです。嘘ではありません。来年のいまごろは、電気製品をぜんぶ載せたカタログと同じサイズのテレビのカタログが出ますよ。事実です。作り話じゃありません」

 それから、50年代半ばのサンフランシスコを舞台にした『The Broken Bubble』の主人公ジム・ブリスキンは、ラジオのDJである。彼はある日の放送中に、番組の新しいスポンサーになった中古車ディーラーの宣伝に嫌気がさして、とんだ失言をしてしまい、一ヶ月間の停職を命じられる。そんな彼が周囲から、テレビ界に転職しようとしているのではないかと思われるあたりにも、時代の急激な変化が現れている。

 そして、ディックの主流小説のなかでも、特に興味深いのが、『戦争が終り、世界の終りが始まった』である。これは、1959年の北カリフォルニアを舞台にした作品だが、中心となる4人の登場人物の設定が、考えようによっては、まさに50年代という時代が産み落とした人物といいたくなるようなリアリティを漂わせている。


 
 
 


 ディックの小説ではしばしば、登場人物たちの複数の視点から物語が綴られていく。この作品で、物語の中心的な語り手となるのは、傍観者的な立場にあるジャック・イシドールという34歳の男だが、彼の説明は後回しにして、とりあえずその他の登場人物について触れることにする。

 まず、ジャック・イシドールの妹フェイ。彼女は、50年代の消費の欲望にどっぷりと漬かっている主婦である。彼女の夫のチャーリーは、町工場の経営者。そして、フェイと関係を持つことになるネーサン。彼は、28歳の既婚者だが、まだ法律の勉強を続けている学生でもある。

 さらに、この作品の場合には、もうひとりの主人公として、人間ではないが、フェイが夫に建てさせた邸宅にも注目しておくべきかもしれない。それは、サンフランシスコのど田舎に建つモダンな家で、リビングの中央にはバーベキューができる円形の暖炉があり、客室にも使える書斎、4つのベッド・ルームにバス・ルーム、ソーイング・ルーム、ユーティリティ・ルーム、ファミリー・ルーム、ダイニング・ルーム、冷蔵庫の部屋、テレビ・ルームが備わった邸宅だ。そして、この家を牛耳るようなフェイという主婦の存在が、男たちを振り回し、物語を動かしていくことになる。

 それでは、複数の視点に沿って、このフェイの存在を浮き彫りにしてみよう。たとえば、夫のチャーリーは、心のなかでこんなふうに思う。

おれの稼ぐ金はすべてあの糞いまいましいマイホームの維持費につぎ込まれている。呑み干し、吸い取る。おれを、おれが得るすべてをむさぼり食らう。利益を得るのは誰だ?おれではない。

 精神的に行き詰まったチャーリーは、最終的には自殺することになる。ただし、彼が単に経済的に追い詰められたために自殺するのではないところが、この物語の深いところだろう。そのことは、フェイに対するネーサンの分析から浮かび上がってくる。彼女に対するネーサンの心の動きは、こんなふうに綴られている。

男は女より弱く、短命で、問題を解決に導くのも下手糞だとフェイは思い込んでいるな、まるで現代の神話そのものだ、とネーサンはさとった。商品はすべて女のマーケットに的が絞られている。財布の紐を握っているのは女だってことは生産者はとっくに知っている。テレビドラマで女はしっかり者として登場し、男は愚かなダグウッド・ハムステッドで――。

中産階級的な古くさい人生観の持ち主で、自分でものを考えることができず、古ぼけた価値観に頼っている。家庭教育の犠牲者と称している。人がショックだと感じることに自分もショックを感じ、人のほしがるものをほしがる。家庭を、夫を求める。夫の理想像とはそこそこの金を稼ぎ、庭いじりの手伝いをし、皿洗いする――雑誌の『ジス・ウィーク』のマンガに出てくる良き夫のことなのだ。もっともありきたりな社会的階層の考え方だ。世代から世代へと受け継がれる、いつの時代でも、どこにでも転がっているブルジョワ的な家庭の。
====>2ページへ続く


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