第21章 サバーブスからエッジ・シティへ
――続・変わりゆくアメリカの風景


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(初出:東京書籍刊『サバービアの憂鬱』、1993年、若干の加筆)
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■■郊外への店舗の進出は荒廃なのか発展なのか■■

 第7章では、作家ジョン・チーヴァーの作品を通して郊外化にいたるアメリカの風景の変化に着目したが、本章と次章では、郊外化から現代にいたる風景の変化の跡をたどってみたいと思う。その流れとしては、まず本章で変貌の実際や現場に着目し、次章でそうした変貌を描いた映画や小説をとりあげることにする。

 郊外の世界は、荒廃が進む従来の都市に対する新たなフロンティアという性格を持ち合わせていたが、実際には、コミュニティの排他的な性格など、これまで触れてきたようにある種の袋小路ともなっていた。そこで郊外の世界は、さらに新たなフロンティア、袋小路の出口を求めて変貌を遂げていくことになる。

 そうした変化は、これまで取り上げてきた作品からも断片的に浮かび上がってきている。都市から郊外に向かう道路の拡張や改善が進んだことは、中流の人々の郊外への進出をうながしたが、郊外の変貌の発端になるのは、そうした動きを追うように、郊外居住者をターゲットにした様々な店舗が郊外へと進出するようになったということである。

 ただしこの変化は、そのかたちにもよるが、必ずしも郊外居住者にとって望ましいものであったわけではない。

 たとえば、第15章で取り上げたスティーヴン・キングの『クリスティーン』をちょっと振り返ってみてもらいたい。この小説の舞台となるピッツバーグの郊外にあるリバティーヴィルの町は、60年代に入ってから次第に店舗が進出するようになり、小説のなかの現在である78年の時点では、ドライブイン・シアター、マクドナルド、バーガー・キング、アービーズ、ボウリング場に10軒近いガソリンスタンドに囲まれている。

 そして小説では、この事実が郊外居住者の視点に立って町の荒廃としてとらえられている。つまり、かつては町でも指折りの魅力的な土地柄だったが、60年代以降、次第に周辺の環境が悪化し、いわゆる準郊外住宅になりさがってしまったということである。これは、すでに明らかになっている50年代の郊外の理想を踏まえてみるならば、当然とも思える視点であり感情である。

 これはフィクションの例だが、これまでたどってきた郊外の現実に目を向けた場合でも、理想はともかくとして、60年代から70年代にかけて変貌を遂げる郊外の実例を見出すことは決して難しいことではない。

 たとえば、第9章で取り上げた写真家ビル・オウエンズが、彼の地元であるカリフォルニア州ダブリンの町の変貌を語るコメントを振り返ってもらいたい。この町は、2本の州間高速自動車道の交差点となり、郊外化が進行した。そして、60年代末から70年代初頭の時点で、町にはガソリンスタンドが15軒、スーパーが6店、デパートが2店にコンビニもあったという。ちなみにオウエンズの場合には、カメラのファインダーを通した郊外の観察者であったためか、こうした変貌をありのままに町の成長とみなしている。

 こうした郊外の変貌を、その住人たちが発展とみなすか荒廃とみなすかについては、一概に判断することはできないが、それを左右する大きな要因になっているのは、どうやら進出する店舗の形態のようである。

 もし郊外の町、すなわちコミュニティ精神によって見事に統一された景観の周辺に、ファストフードの店やその他の娯楽施設などが、無計画に乱立していくだけであれば、それは町の荒廃ということになるだろう。そこで、もちろん郊外の町のなかには、荒廃を避けるために徹底的にそうした店舗をしめだし、旧来の形態を守っていく町もあるはずである。しかし一方、60年代から70年代にかけて、実際に大きな変貌を遂げた郊外の町の場合には、進出した店舗が時代の流れとともに次第にかたちを整え、統一された形態をとることになる。つまり、デパートやファストフードの店は、ショッピング・センターとなり、ついには、巨大なモールへと発展していくということである。

 
《データ》
 
Highways to Heaven: The Auto Biography of America by Christopher Finch●
(Harper Collins, 1992)
 
edge city
Edge City: Life on the New Frontier by Joel Garreau●
(Doubleday, 1991)
 
logic of tv
Logic of Television: essays in cultural criticism edited by Patricia Mellencamp●
(Indiana University Press, 1990)
 
whistling song
The Whistling Song by Stephen Beachy●
(Norton, 1991)
 

 
 

 こうした発展の実例もまた、ほんのわずかではあるが、すでに本書のなかに出てきている。それは、第12章でベッツィ・イスラエルのノンフィクション『Grown-up Fast』の内容に触れた部分だ。

 前後の流れは第12章を振り返ってみてもらいたいが、ベッツィは、彼女が暮らしていたマサピークアの町が、71年までの3年間に大きな変貌を遂げたと書いている。具体的には、ふたつの巨大なモールがオープンし、それに合わせてハイウェイが整備、拡張され、古いショッピング・センターが次々と閉店を余儀なくされていったということである。そして、71年には、子供のころのマサピークアの面影が、ほとんどなくなっていたという彼女の言葉は、まさに郊外の次なるステップを思わせる。

■■ショッピング・センターとモールはどう違うのか■■

 郊外の変貌をテーマとする本章で着目するのは、こうしたデパートやファストフードの店、ショッピング・センターからモールへの発展の過程である。

 ここではこれから実際に、ニュージャージー州にある2本の幹線道路が交差する郊外の町に、どのような過程を経て巨大なモールがオープンすることになったのかをたどってみる。だがその前に、この町に限らず全般的にモールへの発展を興味深くみるためのポイントだと思える事柄をふたつ挙げておきたい。

 まずひとつ目は、少し長い説明になるが、ショッピング・センターとモール(あるいはショッピング・モール)に関する基礎知識である。デパートやファストフードの店なら説明の必要もないが、ショッピング・センターやモールとなると、おぼろげなイメージは浮かんできても、具体的にどのようなもので、どのように違うのかということは、けっこう曖昧なのではないだろうか。また実際に、便宜的にということなのか定かではないが、モールのことをショッピング・センターと表現する例を見かけることもある。

 しかしながら、郊外居住者にとってみると、ショッピング・センターとモールにはずいぶん大きな違いがあるようである。というのも、先ほどこれから取り上げると書いたニュージャージー州の町では、住人たちがショッピング・センターの建設計画に反対し、紆余曲折を経て、住民たちの意向をくんだモールが完成することになるからだ。

 ということでまず、ショッピング・センターとモールの違いを確認したいと思う。ここで筆者が参考にしているのは、ノンフィクション作家クリストファー・フィンチが92年に発表した『Highways to Heaven』という本である。これは、アメリカにおける自動車文化の歴史を綴ったノンフィクションで、当然のことながらショッピング・センターやモールの発展にもページがさかれている。

 ショッピング・センターの原型というのは、複数の商店がひとつの駐車場を共有するような形態である。本書によれば、この形態はT型フォードの時代(1908〜28年)から存在していたが、50年代以前には、本流ではなく支流にとどまっていたという。ところが、郊外化によってこの原型は大きな変貌を遂げていく。新しい消費者を求めて郊外に進出するデパートや成長するドラッグストアやスーパーマーケットのチェーンが、ショッピング・センターを発展させていくことになるからだ。

 先ほど郊外における商店の無計画な乱立は、町の荒廃とみなされると書いたが、このショッピング・センターの発展は、統一性のある形態に向かう第一段階といえる。『Highways to Heaven』には、そうした郊外化の時代におけるショッピング・センターの典型的な形態が解説されているが、それをここで紹介しておこう。

 敷地の一方の端にデパートが建ち、もう一方の端には、ディスカウント・ショップや大型のドラッグストアが建ち、そのあいだをこれまで高速道路に沿って発展してきた地元の小さな商店が埋める。これにスーパーマーケットが参入したり、隣接している場合もある。そして、その周辺には、ファミリー・レストランや昔ながらのダイナーが店をかまえるといった形態である。

 そこで、欲しいものがこれと決まっている人は、目当ての商店のすぐそばにクルマをとめ、数分で用をすませることもできるし、たくさんの買い物がある人は、時間をかけてぶらぶらすることもできる。こうしたショッピング・センターは、いまだにかなりの数が存在しているという。

 一方、モールの方はというと、こちらは60年代にショッピング・センターが進化するようにそのかたちができあがり、次第に数を増していくことになる。=====>2ページに続く


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